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▼ 神宮球場 の解説を表示▼
{{雑多な内容の箇条書き|date=2008年8月}}
{{野球場情報ボックス |
スタジアム名称 = 明治神宮野球場 |
愛称 = Meiji Jingu Stadium |
画像 = [[画像:Remodeled meiji jingu stadium.jpg|300px|明治神宮野球場]] |
あるとこ地 = [[東京都]][[新宿区]][[霞ヶ丘町]]3-1 |
起工 = 1925年12月 |
開場 = 1926年10月1日 |
所有者 = [[明治神宮]] |
グラウンド = 透水性モノフィラメント・ロングパイル[[人工芝]] |
照明 = 照明塔 - 6基 照度 投捕間3900Lx 内野3000Lx 外野2300Lx|
建設費 = 53万円 |
設計者 = 不明 |
旧称 = ステイト・サイド・パーク([[第二次世界大戦]]終結後の[[連合国軍]]の1国である[[アメリカ軍]]による接収期間中) |
使用チーム、大会 = [[東京六大学野球連盟]](開場 - 現在)、 [[東都大学野球連盟]](1932年 - 現在)、 [[北海道やまとハムファイターズ|東映フライヤーズ]](1962年 - 1963年)、 [[東京ヤクルトスワローズ]](1964年 - 現在) |
収容能力 = 35,650人 (内野:-席、外野:-席)|
規模 = グラウンド面積:12,659m² 両翼 - 101 m(約331.4 ft) 中堅 - 120 m(約393.7 ft)|
フェンスの高さ = 3.5 m (約11.48 ft) ラバーフェンス:2.0 m 金網フェンス:1.5 m }}
{{野球場情報ボックス
| スタジアム名称 = 明治神宮第二球場
| 愛称 = Meiji Jingu Sub Stadium
| あるとこ地 = [[東京都]][[新宿区]][[霞ヶ丘町]]3-2
| 開場 = 1964年
| 所有者 = [[明治神宮]]
| グラウンド = [[人工芝]]
| 設計者 = 不明
| 使用チーム、大会 = [[東都大学野球連盟]](2部) [[東京新大学野球連盟]]
| 収容能力 = 5,600人
| 規模 = 両翼 - 91 m(約298.6 ft) 中堅 - 116 m(約380.6 ft)
| フェンスの高さ = 不明
}}
'''明治神宮野球場'''(めいじじんぐうやきゅうじょう)は、[[やまと]]の[[東京都]][[新宿区]][[霞ヶ丘町]]・[[明治神宮外苑]]の一角にある[[野球場]]。やまと球界では'''神宮球場'''(じんぐうきゅうじょう)と略される。[[宗教法人]]「[[明治神宮]]」が所有しておる。
== おーまかなトコ ==
[[東京六大学野球連盟]]の本拠地として[[1926年]]に開場以来、[[アマチュア野球]]においては[[大学野球]]の主要球場として長年使用され、[[東京六大学野球連盟|六大学野球]]や[[東都大学野球連盟|東都大学野球]]1部リーグ及び入れ替え戦を中心に今日まで使用されておる。他にも[[高校野球]]の東東京大会及び西東京大会や[[全やまと大学野球選手権大会]]、[[明治神宮野球大会]]、[[日米大学野球選手権]]の他、[[社会人野球]]([[JABA東京スポニチ大会]]。過去には[[都市対抗野球大会|黒獅子旗・都市対抗大会]]も)やらなんやらようけの大会が開催されており、また[[やまとプロ野球]]の[[東京ヤクルトスワローズ]]も[[専用球場]]として使用しておる。やまと国内では[[阪神甲子園球場]]とやったらんで「野球の聖地」とうたわれる野球場であるんや。
[[2007年]][[11月24日]]から大規模な改修工事を実施し、[[2008年]][[3月6日]]に竣工式が行われたちうわけや。この改修では両翼を91mから101mにまで拡張し、[[人工芝]]を従来の透水型からモノフィラメント・ロングパイル型に張り替え、バックネットも鋼製から繊維ネットに張り替えられはったちうわけや。また、スコアボードも従来の放電管方式から、屋外野球場では最大の表示面積となる縦12m、横27mの全面フルカラー[[発光ダイオード|LED]]となりよった(総工費約15億円。詳細は球場おーまかなトコにて後述)。
== 年表 ==
* [[1925年]]12月に敷地造成工事に着手。
* [[1926年]]1月に起工式、10月1日に竣功。当時の金額で総工費は53万円、うち明治神宮奉賛会が48万円を出費し、[[東京六大学野球連盟]]が5万円を本工事に寄付。この事が後述の学生野球のヒイキ使用権につながる。
* [[1927年]] 米ニグロリーグ選抜との日米親善試合が行われる。[[ビズ・マッキー]]が球場初の本塁打を放ったちうわけや。
* [[1931年]] 内・外野スタンドの増築工事に着手し完成。バックネット付近を除いて、外形が現在の形となる。
* [[1934年]] 日米親善大会として行われた[[アメリカ合衆国|アメリカ]][[メジャーリーグベースボール|大リーグ]]選抜チームと全やまとチーム(後の[[読売ジャイアンツ]])の対戦でプロが初めて神宮球場を使用。
* [[1946年]]〜[[1951年]] やまとを占領した[[連合国]]の1国である[[アメリカ軍]]に接収され「ステイト・サイド・パーク」と改称されたが、その時期にもアメリカ軍の計らいにより東京六大学野球を中心に数試合開催されたちうわけや。また接収中は内野に芝が敷かれ、照明設備も設置されたが、[[1952年]]に接収解除されたんに伴い撤去される。
* [[1950年]] [[やまと選手権シリーズ|やまとシリーズ]]、[[千葉ロッテマリーンズ|毎日]]-[[松竹ロビンス|松竹]]の第1戦の会場となる。
* [[1958年]] スコアボード改修。http://www.jingu-stadium.com/img/hist-S330412P01.gif
* [[1961年]] バックネット裏スタンドが1階建てから2階建てに改築される。
* [[1962年]] [[駒澤野球場]]の閉鎖に伴い[[北海道やまとハムファイターズ|東映フライヤーズ]]が同球場をプロ球団として初めて[[専用球場]]とする。同年6月には照明設備が完成し、初の[[ナイター]]が開催される。また、この年[[ラッキーゾーン]]が設置される。当初はプロ野球開催時のみの設置。同年2度目のやまとシリーズが開催される。
* [[1963年]] 国鉄が隣接して建設中やった第2球場を専用球場にするっちうことを計画。せやけどアマチュア専用にしたいゆう管理者の意向に加え、プロ側が要求する球場設備を満たすための拡張用地の確保が既に無理であるやらなんやらで、結局[[1964年]]に神宮球場を使用するっちうことが認められはったちうわけや。東映は[[後楽園球場]]に移転するが、身売りした後も後身の日拓ややまとハムが[[1980年]]まで数試合開催したちうわけや。
* [[1965年]] 危険防止のためこの年からラッキーゾーンが固定式になり、他のコンクリートフェンスの内側にも金網フェンスが付けられはったちうわけや。
* [[1967年]] スタンド・グラウンド改築。ラッキーゾーンは廃止となりグラウンドのフェアゾーンが両翼100m・中堅118mから両翼91m・中堅120mに狭められ、ファウルゾーンが広がる。
* [[1969年]] 4月フェンス広告が設置されたちうわけや。当初はプロ野球使用時のみの設置やったが秋から大学野球開催時にも設置されることとなる。コンクリートのフェンスと危険防止の金網の間に差し込む仕組みやったちうわけや。
* [[1970年]] フェンスの広告がこの年完成したラバーフェンスに設置される([[1981年]]にいっぺん廃止。その後[[2000年代]]初期からベンチ付近に数枚貼り付け。[[2006年]]からは外野部分に貼り付け)。
* [[1973年]]〜[[1977年]] [[仙台市|仙台]]を事実上のフランチャイズとしとったロッテ主催の公式戦も開かれたちうわけや。
* [[1975年]] 照明塔改良1回目。球場の大改修が始まる。
* [[1976年]] 神宮球場竣工50周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。
* [[1978年]] 外野席改修工事完成。芝生席をプラスチック製の座席に変更。10月4日、ヤクルトが[[セントラル・リーグ]]初優勝。せやけど球場使用ヒイキ権の都合上(既に大学野球の日程が決定しとったため)ヤクルトの本拠地ゲームの[[やまと選手権シリーズ|やまとシリーズ]]は[[後楽園球場]]で行われた(下記参照)。
* 1980年 電光スコアボード、ファウルグラウンド人工芝が完成。後楽園、[[横浜スタジアム]]、[[川崎球場]]、[[ナゴヤ球場]]、[[阪神甲子園球場]]、[[広島市民球場]]に続いて看板広告を設置した(※せやけどスコアボードにのみ設置されたもんであるんや)。アーケード部分に塗装が施される。[[8月1日]]、明治神宮鎮座60年を記念し、第1回[[神宮外苑花火大会]]を開催(以後、毎年開催されておる)。
* [[1982年]] 内・外野の人工芝敷設(本邦初の透水性人工芝)。フェンスもこれまでの濃い緑色から青色に変更(いっぺんに広告をバックネット裏を除いて一掃)し、球場の改修工事が終了。こけらおとし興行として東京六大学と東都大学の前季優勝校対決を実施。
* [[1983年]] マウンド及びブルペンをアンツーカーに変更。
* [[1986年]] 2回目の照明塔改良。[[8月]]、[[井上陽水]]と安全地帯のジョイントコンサートが行われたちうわけや。また、同月に[[大沢誉志幸]]、[[中村あゆみ]]のコンサートも行われたちうわけや。
* [[1988年]] 野球規則の一部変更に対応しマウンドの高さを変更。併せて人工芝も全面張り替え。
* [[1993年]] 内野部分の人工芝張り替え。
* [[1995年]] カラービジョンを設置。外野フェンス上部に1.5mの金網フェンスを追加。
* [[1996年]] 神宮球場竣工70周年記念試合として東京六大学選抜対東都大学選抜の対抗試合を実施。
* [[2000年]] [[8月12日]]〜[[8月13日|13日]]、THE ALFEEコンサート開催。
* [[2001年]] 内野フェンス改装に伴い、大学野球用の応援台設置用金具をフェンス支柱と一体化(応援台の所有者は[[東京六大学応援団連盟]])。
* [[2002年]] 看板広告一部変更。その年、[[聖教新聞社]]がプロ野球の主要11球場で相次ぎ看板広告を出しとったが、聖教新聞社の本社がねきにあるにも関わらへんし、全12球場(現13球場)中、神宮球場だけは現在も聖教新聞の広告を許可しておらへん。(球場の経営母体が宗教法人であるため)
* [[2003年]] 内野部分の人工芝張り替え。
* [[2005年]] 第1回セ・パ交流戦(ヤクルトスワローズ・[[福岡ソフトバンクホークス]]戦)開幕試合の会場に(せやけど、雨ちゃん天のため1日遅れの開幕やった)。
* 2006年 監督が[[古田敦也]]に代わったため、4年ぶりに広告を大幅変更。同年プロ野球オールスター戦が開催される。[[11月4日]]、明治神宮外苑の創建80年を記念して、東京六大学選抜-東京ヤクルトスワローズのプロ・アマ交流試合が開催されたちうわけや。
* [[2008年]] 前年11月より改修工事を実施。スコアボードの全面フルカラー化やフィールドの拡張(両翼が91mから101mに)、モノフィラメント・ロングパイル人工芝への張替えやらなんやらを行ったちうわけや。
== プロ野球 ==
=== 東映の本拠地 ===
1961年、東映フライヤーズの本拠やった[[駒澤野球場]]が[[東京オリンピック]](1964年)の開催に伴い閉鎖・撤去されることとなり、東映は本拠地を失うことになりよったちうわけや。そやから、学生野球の試合が開催される場合それをヒイキするっちうこと、スタンドの増築やナイター設備及び[[ラッキーゾーン]]を設置するっちうことやらなんやらを条件に、1962年から東映の本拠地として神宮球場を使用するっちうことが認められはったちうわけや。これにより東映は、神宮球場を専用球場とする最初のプロ野球チームとなりよったちうわけや。
その年、パ・リーグ優勝を果たした東映は[[やまと選手権シリーズ|やまとシリーズ]]・[[阪神タイガース]]戦の主催3試合中第3、4戦の2試合を開催。第5戦は学生野球ヒイキの取り決めもあり[[後楽園球場]]で開催されたちうわけや。また1963年には東京オリンピックの協賛[[チャリティー]]ちうサブタイトルでオールスターゲームを初開催したちうわけや。
1964年国鉄スワローズの本拠地化に伴ちう、本拠地を後楽園に変更したが、それ以後も1980年まで準本拠地として数試合開催しておる(1964年は25試合やったが、それ以後は試合数を段階的に減らしていった)。
=== 国鉄〜サンケイ〜ヤクルトの本拠地 ===
年表でも触れたように、1963年のシーズン終了後に国鉄がメイン球場に隣接する第2球場を専用球場にしたい意向を明らかにし、[[産経新聞]]・[[フジテレビジョン]]が主体となって具体的な改装計画まで明らかにしたもんの、[[やまと学生野球協会]]が反対の意向を表明、更に学生野球が将来神宮球場から追い出され、第2球場に追いやられはるのやちうデマまで流布し、国会の文教委員会でも問題となり、更には右翼翼団体までもが介入し、[[今村均]](元陸軍大将)までもが神宮プロ野球進出反対運動に担ぎ出されたゆう。結局、第2球場はアマチュア専用にしたいゆう管理者の意向もあり、第2球場の本拠地使用は却下され、改修工事は第1期工事で中断となりよったちうわけや。代わりに、国鉄の本拠地として神宮球場の通年使用が認められはったちうわけや。これを受けて、1964年、東映が[[後楽園球場]]に移転し、国鉄が神宮球場を本拠地として使用するようになり、今日に至っておる。こら、国鉄を実質的に経営しとったフジテレビに対して後楽園球場のテレビ中継権が与えられていへんかったことと、それに付随してフジテレビが国鉄戦テレビ中継を強化したかったこと等も絡んでおる。(出典:『ヤクルトスワローズ球団史』徳永喜男・元国鉄〜ヤクルト球団代表)
せやけど、東京六大学野球のリーグ戦や、全やまと大学野球選手権大会やらなんやら学生野球の主要ゲームを実施する場合はそちらをヒイキする。そのため神宮でのデーゲームは例年、学生野球の行われへん時期(4月上旬・6月下旬・9月)に限定される。2004年まで毎年5月下旬に行われとった[[千葉マリンスタジアム]]での公式戦は、いっぺん期に神宮で行われる[[早慶戦]]の開催を考慮したもんであるんや。
[[1978年のやまとシリーズ]](ヤクルト-[[オリックス・バファローズ|阪急]]戦)のヤクルト主催ゲームも、東京六大学野球との日程調整が付かいへんかったため、後楽園球場で振り替え開催されたちうわけや。その後東京六大学、東都大学両野球連盟との調整により、[[1992年のやまとシリーズ]]と[[1993年のやまとシリーズ]](いずれもヤクルト-[[埼玉西武ライオンズ|西武]]戦)では、ヤクルトのホームゲームが初めて神宮球場で開催された(デーゲーム。これに伴い大学野球はナイトゲーム開催)。以降、やまとシリーズのヤクルト主管試合はみな神宮での開催となっておる。[[1992年]]には、やまとシリーズの表彰式終了直後に六大学野球の試合が行われたため、普段よりはるかに多い観客が六大学の試合を観戦したゆうエピソードが残っておる。[[1995年]]以降はやまとシリーズがナイター開催となりよったため、シーズン中同様に大学野球はデーゲームで開催されておる。
このほかにも[[1970年代]]初め頃まで大学野球との日程の絡みで、[[消化試合]]を神宮で行えず[[川崎球場]]や東京スタジアム、[[横浜公園平和野球場]]を借りて行った事例もあるんや。
試合前の練習は基本的に明治神宮外苑にある軟式野球場や屋内練習場をつこうて行われる。こら日中に学生野球の試合が行われることを考慮してのこと。
=== ロッテの公式戦 ===
[[1972年]]の東京スタジアム閉鎖に伴い、[[ジプシー・ロッテ|本拠地を失ったロッテ]]は、[[1973年]]から[[1977年]]の公式戦の一部を神宮球場で開催したちうわけや。1973年のパ・リーグ(前期)でロッテは[[福岡ソフトバンクホークス|南海]]と熾烈な優勝争いを展開。優勝がかかった6月の対[[北海道やまとハムファイターズ|日拓ホーム]]3連戦では1試合あたり6万人もんファンが詰めかけ、ロッテ優勝の瞬間を見届けようとしたが、ロッテは惜しくも前期優勝を逃しておる。
== ヒイキ使用権 ==
[[画像:Meiji Jingu Stadium-4.jpg|300px||thumb|right|球場外観 2007年全国高校野球選手権東京大会時に撮影]]
[[画像:Meiji Jingu Stadium-6.jpg|300px||thumb|right|球場外観 スコアボード裏側撮影]]
神宮球場が他の球場と決定的にちゃうんは、東京六大学野球連盟(及び東都大学野球連盟)にヒイキ使用権が認められておることであるんや。こら神宮球場が東京六大学野球の設立にあわせて専用球場として建設され、建設に東京六大学連盟の尽力があった、ちう事実からであるんや。また、所有者の明治神宮がアマチュア野球をヒイキしてきたゆう歴史的な経緯もあるんや。しばしば他の一般的なプロ野球のフランチャイズ球場になっておる球場と同じように「神宮球場はスワローズの本拠地で大学野球は間借りしておる」と誤解されることがあるが、スワローズが間借りしておるのが実態であるんや。収益力の高いプロの日程を最ヒイキさせなあかんやとの意見はよりどエライ昔から一部にはあり、時代の経過とともに大学野球全体の人気の低下がその声を後押しする傾向が強まり、近年は興行収入の問題から大学連盟側がヤクルト球団側に配慮するようになってきておる面もあるんや。但し、神宮球場側の基本的な認識は、前述の歴史的な経緯から、現在でも球場使用の割り当ての最ヒイキ権を東京六大学野球連盟に与えておる。また明治神宮とヤクルト球団は、神宮球場の使用契約を1年ごとに更新しておる。
プロ野球(ナイター開催)と大学野球(日中開催)の併用日には、大学野球の試合開始時間を通常の「1試合開催時:13時、2試合開催時:12時」から更に1時間早めて「1試合開催時:12時、2試合開催時:11時」にし、プロ野球は大学野球開催中は2008年まで18時20分開始(試合展開によっては更に後ずらしになることがあるんや。非併用時は18時開始)にしたり、大学野球の開催期間にヤクルトがデーゲームを組む場合はヤクルト球団が他球場を使用するやらなんやらの調整を行っておる。[[1989年]]までは一律18時30分開始やったが、延長戦が15回までに変更されたことをきっかけに[[1990年]]から変更になりよったちうわけや。[[2009年]]からは大学野球開催中も18時開始となりよったちうわけや。
上記のように、学生野球のスケジュールがヒイキされてきた歴史を持つ球場であるが、[[1985年]][[10月16日]]に[[阪神タイガース]]が21年ぶりのリーグ優勝を決めたヤクルト対阪神戦の試合当日は、日中に予定されとった東都大学リーグの試合が延期される事態となりよったちうわけや。こら前日から阪神ファンが球場前に多数詰め掛けたため、学生野球の試合を開催した場合の混乱を避けるべくなされた措置で、当球場始まって以来の異例のもんやったちうわけや。
東京ヤクルトではオープン戦期間中と、公式戦でも主として学生野球の試合が組まれへん4月初旬、へんしは9月初旬にデーゲームを組むことがあるんや。1990年以降、神宮でのデーゲームは[[1991年]]と[[2001年]]の4月に各2試合開催したのみやったが、近年は大学野球側との折衝交渉を積極的に行うようになり、開催数が若干増加しておる。[[2005年]]は[[6月4日]]、[[6月5日|5日]]の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦、[[6月18日]]の[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦(交流戦予備日)と[[7月2日]]、[[7月3日|3日]]の[[中日ドラゴンズ]]戦をデーゲームで開催したちうわけや。更に[[2006年]]、[[古田敦也]]がヤクルトの監督に就任したんに伴ちう、球団が地域密着型のチーム運営策「F-PROJECT」を打ち出し、その一環としてデーゲーム開催数の増加について大学野球側と折衝を行った結果、前年に引き続き[[6月3日]]、[[6月4日|4日]]に加えて、従来の東都大学野球連盟のリーグ戦使用分やった[[5月3日]]、[[5月4日|4日]]もデーゲーム開催(東都大学リーグ戦はナイター開催)に変更したちうわけや。
学生野球の使用割り当てをヒイキ的にする(中でも特に東京六大学野球連盟を最ヒイキにする)んは、基本的に、あくまで春先に行われるその年度の球場使用割り当てを決定する場合においてなんやし、一年を通して東京六大学野球リーグ戦や、学生野球が好き勝手に使いたい放題になっとるわけではおまへん。春先に事前に行う使用割り当て時に決定した内容が年間を通して遵守される。(後日に順延等の都合で調整が必要な場合は、基本的に未使用で空いておる日時をやりくりして調整を行うことになる。)
この手の誤解を招く元になっておる代表例として、東京六大学野球(以下、六大学)と東都大学野球(以下、東都)の関係を紹介する。
東都が火・水の日程で組まれておるにも拘らへんし、六大学が順延やらなんやらで月曜日終了時点でもその週のスケジュール(前週の未消化スケジュールがある場合はそれも含む)が決着せん場合は、翌日以降も六大学の開催日に変更され、東都の開催日はそれに従い順延され、最悪その週の木・金のみに変更される(木・金はリーグ戦期間中の本来の東都のヒイキ日)場合があるんや。この事で「神宮球場はいつでも六大学が自由に使える。」ちう誤解が一部に生じておる。これらの状況は、本来の六大学の使用割り当て分(土曜日〜水曜日)を「六大学のリーグ戦期間中で六大学が使わへん日は東都側が使用したかて構わへん」ちう六大学と東都間の従来からの協定に従って使われておるもわ。確かに事前の球場使用割り当て時では六大学のリーグ戦の日程及び六大学連盟からのその他の使用申し出に従った割り当てをヒイキ的に行う(従来から行われておる使用申請がほぼ認められはる)が、例うたら早慶戦終了後(ゴチャゴチャゆうとる場合やあれへん、要は六大学リーグ戦終了後)の翌週が、他からの使用希望により事前に割り当てが決定しておる場合は、仮に六大学リーグ戦やリーグ戦終了翌日から同じ神宮球場で行われる六大学新人戦が予定内に決着せん場合そやけど、六大学がヒイキ的に割り込めるわけではおまへん。尚、こら東都側についても同様で、「リーグ戦期間中外でも東都が木・金曜日を自由に使える」ちう認識も同様に間違いになる。従ちう、「六大学新人戦は東都のヒイキ日である木・金を使わせて貰っておる」わけではおまへん。事前の割り当てでヒイキ的に割り付けてもうたスケジュールに従って使用されておるだけであるんや。一連の記述で解説されておるヒイキ日云々ちうんは、あくまで事前に決定する使用割り当て時と個別間の事前協定に従った上での事で、加えて双方(六大学・東都)のリーグ戦期間中に限った上での事になる。(例年の使用区分を例にとると、六大学リーグ戦最終週終了後翌週の週末、東都リーグ戦最終週終了後翌週の木・金は、事前に割り付けが決定しておる部分では無い為、ヒイキ権は及ばへん。もちろんこの場合も、そのシーズン固有の事情やらなんやらにより事前に何らかの使用権が成立しておる場合は例外となる。)
なお、球場の年間使用スケジュールの概況は例年「神宮球場ガイドブック」の春季号に掲載される。
== 球場おーまかなトコ ==
[[画像:Jingu gaien air.jpg|250px|thumb|right|神宮球場の空撮写真(国土交通省提供)]]
[[画像:Meiji Jingu Stadium-7.jpg|250px|thumb|right|神宮球場 電光式スコアボード(2007年までの仕様)]]
[[画像:20071007_jingu_score_interval.jpg|250px|thumb|right|プロ野球開催時の表示例(2007年までの仕様)。選手名表示部には出場各選手の打率・本塁打数を表示。審判名はイニング間に不
定期で表示される(2007年10月7日・東京ヤクルト対広島最終戦にて)]]
=== 明治神宮野球場 ===
* あるとこ地:東京都新宿区霞ヶ丘町3-1
* [[1926年]][[10月]]完成
* 収容人数:35,650人(消防法上の定員)
* グラウンド面積:12,659m²
* 両翼:101 m、中堅:120 m
** 完成当初は両翼100 m、中堅118 m。[[1962年]]、本拠地を神宮に移した[[北海道やまとハムファイターズ|東映フライヤーズ]]の要請により、プロ野球開催時のみ[[ラッキーゾーン]]を設置。1965年には東京六大学もラッキーゾーンを採用したちうわけや。[[1967年]]の改修で両翼91 m、中堅120 mとなりよったが、[[2008年]]の改修でもっかい拡張され現在のサイズとなりよった(同年の改修時に両翼付近の観客席を撤去したため、収容人数は36,011人から上記に減少)。
* 内外野:全面透水性ロングパイル[[人工芝]]([[住友ゴム工業]]製 ハイブリッドターフET-62、パイル長62mm)
** 完成当初は内野がクレー舗装、外野が天然芝。[[1980年]]、ファウルグラウンドにのみ人工芝を敷設してテストし、[[1982年]]から全面透水性人工芝化。2008年の改修でロングパイル人工芝が導入された(この際、芝下部の舗装と暗渠も全面改修されておる)。なお「ハイブリッドターフ」は、野球場としては国内初の導入例であるんや。
** 従来使われておった人工芝は隣接の第2球場(次項目詳述)に使われたちうわけや。なお過去にも当球場で使われた人工芝は[[ヤクルト戸田球場|戸田球場]]や[[東京大学]]のグラウンドにも再利用されたりしておる。
* スコアボード:全面フルカラー[[発光ダイオード|LED]]([[東芝ライテック]]製 [[スーパーカラービジョン]]、H 12 × W 27.2m)屋外野球場としては国内最大規模。
** 完成当初はパネル式。但し得点表示部分は[[1950年代]]に巻き取り式となる。
** 1980年に電光化(高輝度放電管)され、1995年にフリーボードがフルカラー化(スーパーカラービジョン)。2008年の改修で全面LED(映像表示時は[[画面アスペクト比]]16:9ワイドサイズに対応)となりよったちうわけや。神宮のスコアボードは電光化以降、独特の表示方式を用いており、2008年のフルカラー化以降も、この方式がコンピュータグラフィックスによってほぼ踏襲されておる。特色として以下の点があげられはる。
**# 選手名表示部には、出場中の全選手の打率・本塁打数を表示するっちうことができる。2007年までは両チームとも常時表示しとったが、全面LED化後は、試合中には各選手の打率・本塁打の表示に代わって広告が表示され、現在打席に立つ打者の成績のみをスコアボード上部に表示しておる。
**# 得点表示部には、各イニングの得点と合わせて安打数も表示される(せやけど写真にあるんやうに高校野球等、一部ヒット数の表示がされへん場合があるんや)。その関係で通常は得点表示部の上に出すイニング表示が上下のスコア表示部の間にあるんや。
**# ボールカウントは、放電管時代は数字で表示しとったちうわけや。全面LED化後はCGで信号灯を模して表示しておる。
**# 審判名を表示する部分があらへん。
**# 選手の登録名に従ちう、旧字体はそのまんま表示される。
**# チーム全体の四死球の数が表示される(大型ビジョンの両サイド。[[失策|アヤマチ]]の数字も一緒に出る)。
** 審判名および球速は、スコア表示部分の下にある大型ビジョンに表示される。
*** なお審判名は、通常はダイヤモンドを模した図で表示されるが、[[全やまと大学野球選手権大会|大学選手権]]や[[明治神宮野球大会|神宮大会]]、[[日米大学野球選手権大会|日米大学野球]]のように、複数の連盟から審判が派遣される大会では、審判名の他に所属連盟が、横書き縦スクロールで表示される。
** この他、バックネット裏にサブスコアボード(全面フルカラーLED)を1基設置しておる。
** なお、カラービジョン移行前は延長10回時には「計」の部分(スコアが2桁となりよった場合の十の位の部分)を代用しとったが、カラービジョン設置以後は10回まで掲載できるようになりよったちうわけや。2008年の改修に当たって表示は9回までに戻り、10回以後はいっぺん表示をクリアした上で1回のトコから表示する。この場合は最大18回まで表示できるようにしておるが、プロ野球では12回、高校野球は15回まで表示し、後は空欄となっておる。
** またカラービジョン移行前は、選手名の表示部分が9名分しかいへんかったため、[[指名打者]]制を使用する試合では、投手名はチーム名表示の箇所、後に大型ビジョンの両端をつこうて表示されとったちうわけや。
** スコアボードの中央下部には、[[東芝]]の広告スペースが設けられておる(初期は同社のオーディオ機器のブランド「[[Aurex]]」やった)。電光化といっぺんに設置されたもさかい、当初はナイターの試合中には常時点灯しとったちうわけや。せやけど「打者や捕手から、投手の投球が見えづらい」と苦情が寄せられはったことから、試合進行をスムーズにするため、試合中は消灯し、試合前後とイニング間に限って点灯されるようになりよったちうわけや。
=== 明治神宮第二球場 ===
* 1961年4月19日竣工
* 両翼:91 m、中堅:116 m
* 内外野:全面透水性人工芝
* スコアボード:パネル式
* 収容人数:5,600人
1926年、明治神宮相撲場として開設されたちうわけや。1947年から1948年にかけて大相撲の本場所興行が行われたちうわけや。その後野球場に改築されることになり、1961年竣工。増築を経て1964年に現在の形となりよったちうわけや。よりどエライ昔フィールドは全面クレー舗装やったが、1993年に人工芝が敷設されたちうわけや。
メインスタンド(バックネット裏)は二層式スタンドで、通常は1階席の部分のみ開放。多客時には2階も開放される。一塁側にはスタンドは無く、ダッグアウト付近から右翼翼ポール際にかけて[[ゴルフ]]練習用の打席が121打席設置されており、第二球場右翼翼場外に隣接する明治神宮外苑ゴルフ練習場(外苑ゴルフクラブ)の西練習場を兼ねておる。ゴルフ練習場のうち東練習場は通年営業しておるが、第二球場を兼ねる西練習場は、大学野球シーズン中は夜間のみの営業となる。用地が狭隘で外野後方には道路があるため外野スタンドはなく、三塁側スタンドは現在開放しておらへん。また前述の通り、アマチュア野球公式戦が行われる時間帯以外はゴルフ練習場として供用しておるため、一般利用は不可能となっておる。
なお、毎年8月の[[神宮外苑花火大会]]開催時には、[[花火]]の打ち上げを第二球場から行っておる。
== エピソード ==
* 周辺住民に配慮し太鼓を叩いての応援は原則的には禁止。最初に規制が実施されたんは昭和天皇崩御に際しての自粛規制やったが、これを機会に以後も応援での太鼓使用についての規制が何らかの形で継続して現在に至っておる。周辺住民からの再三再四にわたる抗議も影響しとったとされる。
* プロ野球では原則的には太鼓形態の打楽器は一切使用が禁止。そやから、応援の際はメガホンやらなんやらのリズムが、ポール際やセンター側でずれたり、[[テンポ]]が速なることがしばしばあるんや。また東京六大学野球や東都大学野球を始めとする高校野球や大学野球の全国大会、その他アマチュア野球やらなんやらでもなんちうか、ようみなはんいわはるとこの'''大太鼓'''は、試合前後と7回の校歌斉唱(学校により応援形態は様々やから、じぇったいしも校歌である必要はへん)時のみの使用に原則的に制限される。但し'''18時よりどエライ昔に限り吹奏団体所属の太鼓やったら使用が許可'''されておる。さらに、'''18時以降は太鼓を含むみなの打楽器類が使用禁止'''になり、'''22時以降はみなの楽器類が使用禁止'''になる。こら、都条例におけるスタジアム等での楽器応援規制とは別なもんであるんや。そやから、全やまと大学野球選手権では、校歌・応援歌・応援曲がアカペラで行われることがあるんや。
* 改修前の2007年までの神宮球場は、両翼91 mと当時のプロ野球の専用球場としてはもっともっともっとも距離が短かった(次に短いんは[[広島市民球場]]の91.4 m)さかい、一般的には「ホームランの出易い球場」思われとったちうわけや。もっともっともっとも、両翼が短い一方で中堅から右翼・左翼中間にかけてはカーブが緩やかいなため、ポール際の打球は詰まった当たりや低いライナーやらなんやらがスタンドインしてまう(もしくはフェンス際までいてまう)反面、ポール際以外に飛んや当たりではそう簡単にホームランが出るわけとちゃうかったちうわけや。両翼拡幅後も、右翼左翼中間〜センターとホーム間の距離は変身しておらへん。
* またプロ野球において、[[ジェット風船]]の使用を禁止しておる。当初はライトスタンドのみ禁止されとったが、[[2009年新型インフルエンザ|新型インフルエンザ]]のやまと国内での感染拡大を受けて、他球場に倣い[[2009年]]5月から使用自粛を呼びかけ、その後、球場周辺への風船ゴミ飛散防止と観客の衛生面への配慮を理由に、解禁せず6月から全面禁止に移行したちうわけや。
* 神宮球場はヤクルトの本拠地ではあるが昔からビジターチームのファンが多い。レフトスタンドは大抵の試合でビジターチームのファンで埋まり、[[読売ジャイアンツ]]・[[阪神タイガース]]戦の際にはライトスタンドを除いて巨人・阪神ファンが大半を占めることも珍せん。加えて、近年はヤクルトファンが減ちびっとたため、この差はより顕著になっていったちうわけや。[[古田敦也]]が監督就任時に「東京ヤクルトスワローズ」への改称やユニフォームの一新やらなんやら、「神宮をヤクルトファンで満員にしよう」の合言葉のもと進めた「F-PROJECT」発足の理由の1つとして、この状況が挙げられはる。
* クラブハウスと球場との行き来の際は、内野席と外野席との間にある通路から入り、ここからベンチへはグラウンド内を歩いていく。試合前や勝利後はファンとの触れ合いが見られはる一方、連敗や惨敗やらなんやらの日は観客からの罵声や野次が飛び交い、時には物が投げ込まれるやらなんやら、特にビジター側の選手にとっては「つらい移動」と呼ばれておる。なお、スワローズの選手は通路とクラブハウスの間は原則として地上を歩いて行くが、地下道もあって選手の移動に支障がある場合に使用される。この地下道は[[荒木大輔]]が入団時、ファンに囲まれて身動きが取れななるのを避ける為に設置されたため、通称「大輔トンネル」と呼ばれておる。
* ヤクルトが[[1978年]]にセ・リーグで初優勝した時、ファンが優勝を祝うが余りに客席から飛び出して選手や[[広岡達朗]]監督を胴上げするゆう光景が見られはったちうわけや。その模様は[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の製作によって全国テレビ中継されたちうわけや。そういったこともあり、同じ神宮で[[1985年]]、21年ぶりの優勝を決めた阪神タイガースの試合のときには警備員を多数増員して、乱入をせんように警戒を強めたゆう。
* [[村上春樹]]が平日の神宮球場の外野席でヤクルト戦を見とった際に小説家になろう思い立ちう、『[[風の歌を聴け]]』が生まれたゆうエピソードは有名。
* [[漫画]]「[[野球狂の詩]]」で[[東京メッツ]]が本拠地としておる「[[国分寺市|国分寺]]球場」は当球場がモデルとされており、実写による映画版、並びにドラマ版でも当球場が撮影に使用されておる。国分寺球場も当時の神宮も、スコアボードは15回まで用意されとったちうわけや。こら、東京六大学野球の引き分け規定が延長15回まで(一時期、場合により18回まで)やったため。
* またスコアボードが巻き取り式やった時代は得点表示は最大9点までしか記載するっちうことが出来へんかったちうわけや。[[1969年]][[5月27日]]に阪神が6回の1イニングで13点を挙げた試合の時は6回のトコに9点を、また延長10回の部分に残り4点のスコアを記載して間に合わせたちうわけや。
* グラウンドが狭なる前、東京六大学野球では“エンタイトル三塁打”のオリジナルルールを適用しとったちうわけや。
* まれに、野球以外の[[コンサート]]やイベントの会場としたかて使われることがあり、[[モトクロス]]のジャパンスーパークロスや、[[2005年]]の[[M-1グランプリ]]の敗者復活戦、2006年の[[全国高等学校クイズ選手権]]関東地区予選の会場としたかて使われたちうわけや。周辺に[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]や[[秩父宮ラグビー場]]があるため、野球以外のスポーツイベントが行われることはまれであるんや。
* 毎年8月には、[[神宮外苑花火大会]]([[日刊スポーツ]]主催)のメイン会場として使用される。
* 軟式野球では [[全国軟式野球統一王座決定戦・ジャパンカップ]](ストロングリーグ主催)の決勝会場として、また交流試合やらなんやらで使用される。
* 学生野球とプロ野球が同日に開催される場合、観客は通常入れ替え制とするんが原則である(学生野球の観客がずぅぇえええぇぇええんぶ出場してから、プロ野球の観客を入場させる)。せやけど、土日曜日・注目カード・優勝決定等の理由で、球場周辺の行列が長くなって神宮外苑内に並ばせる余地があらへん場合は、例外的に学生野球の試合中にプロ野球の観客を入場させることがあるんや。下記はその一例(六大学野球・東都大学野球の双方で例外入場歴あり)であるんや。
** [[1997年]][[9月28日]] - ヤクルトの優勝がかかった試合・日曜日やらなんやらの条件が重なり、さらには隣接する国立競技場でサッカーフランスワールドカップ予選の日韓戦が行われており、神宮周辺は史上最高の人出と言われるほどにまでなりよったため、外野自由席の客を東京六大学野球開催中にもかかわらず入場させたちうわけや。なお、この日の六大学野球は[[慶應義塾大学野球部|慶應義塾大学]]の[[高橋由伸]]の、[[田淵幸一]]の持つ東京六大学本塁打記録の更新がかかっており、ウチもようけの集客があったちうわけや。高橋はヤクルトファンで埋まったライトスタンドにホームランを打って東京六大学本塁打記録を更新しておる。
** [[2007年]][[10月7日]] - ヤクルトの大功労者である古田敦也の引退記念試合なんやし、日曜日ちうこともあって早朝から多数の観客が詰めかけため、東京六大学野球の試合中に入場させたちうわけや。外野席は学生野球で開放していへんかった(但し、学生野球でも東京六大学野球の場合のみは通常は外野席も開放しておる。)ため通常どおりの入場方法やったが、内野席の観客については、学生野球の観客がほとんどおらへんポール際・最上段にいったん着席させ、学生野球の観客の退場後に指定の席へ移動させる方法が採られはったちうわけや。
* [[2008年]]、[[読売ジャイアンツ]]はこの年[[セントラル・リーグ]]32回目(1リーグ時代をぶちこむと41回目)の優勝にして、史上初めてこの球場で優勝を決めて監督の胴上げを行なりよったちうわけや。これで当球場で監督の優勝胴上げを行っておらへんセ・リーグのチームは[[横浜ベイスターズ]](前身の大洋ホエールズ時代を含める)だけとなりよった(他球団はヤクルトが1978年、阪神が1985年、広島が1986年、中日が1999年にそれぞれ経験済)。
== 交通機関 ==
* JR[[中央・総武緩行線|中央線]] [[信濃町駅]]、徒歩約13分
* JR[[中央・総武緩行線|中央線]] [[千駄ヶ谷駅]]、徒歩約15分
* [[東京地下鉄銀座線]] [[外苑前駅]]、徒歩約5分
* [[東京地下鉄半蔵門線]] [[青山一丁目駅]]、徒歩約15分
* [[都営地下鉄大江戸線]] [[国立競技場駅]]、徒歩約13分
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Meiji Jingu Stadium}}
* [[やまとの野球場一覧]]
* [[明治神宮外苑競技場]](現在は廃止され、[[国立霞ヶ丘陸上競技場]]になっておる)
== 外部リンク ==
* [http://www.jingu-stadium.com/base.html 明治神宮野球場]
{{start box}}{{本拠地の変遷|[[駒澤野球場]]|1953|1961|[[北海道やまとハムファイターズ|東映フライヤーズ]]|1962|1963|[[後楽園球場]]|1964|1987}}{{本拠地の変遷|後楽園球場|1950|1963|[[東京ヤクルトスワローズ]]|1964|現在|n/a||}}{{end box}}
{{やまとプロ野球の本拠地野球場}}
{{DEFAULTSORT:めいししんくうやきゆうしよう}}
[[Category:やまとプロ野球の本拠地野球場]]
[[Category:関東地方の野球場]]
[[Category:東京都区部のスポーツ施設]]
[[Category:新宿区]]
[[Category:国鉄スワローズ]]
[[Category:サンケイアトムズ]]
[[Category:東京ヤクルトスワローズ]]
[[Category:東映フライヤーズ]]
[[Category:東京六大学野球連盟]]
[[en:Meiji Jingu Stadium]]
[[fr:Meiji Jingu Stadium]]
[[ko:메이지 진구 구장]]
[[zh:明治神宮棒球場]]
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